ライダースジャケットの歴史・変遷を紐解くのは難しい。
フライトジャケットが軍用飛行服といった性質上、軍の要求するニーズに特化してシステマティックに進化しているのに対し、ライダースジャケットは、その特有の機能(バイクライディング時に要求される対アクシデント、対悪天候など)を持つとはいえ、消費者市場に左右される一般的な消費財だからです。従って資料ひとつとってもフライトジャケットに比べて、いや他のウェアに比べても非常に少ないのです。
ここでは、この分野の第一人者である田中凛太郎氏の「革ジャン物語」(扶桑社)、同じく田中氏監修のFree&Easy 別冊「ライダースジャケットを着る人生」をベースにライダースジャケットの歴史・変遷を簡単にまとめました。
より詳しく知りたい方は上記の書籍を参考にされることをお勧めします。
ルーツ
(アメリカの)ライダースジャケットのルーツはアメリカ先住民族のレザー文化といえます。
自らのサバイバルのため、神から与えられた自然の恵みを無駄なく最大限に生かすことから生まれた独自のレザー文化です。
彼らはバッファローの革を、ウェアにあたるバッファローマントに、鹿革を足の覆いであるレギングなどに利用しました。
〜1930年
この時代は、自動車・バイクが登場することにより、カウボーイの使う道具(カウボーイギア)の需要は減少し、それとともに仕事を失ったクラフトマン達がバイク産業に流れ込むことになります。
また、1903年のライト兄弟の初フライト成功に始まる飛行機の登場がフライトジャケットという機能特化したウェアへの要求を生み出し、ひいてはライダースジャケットに多大な影響を与えることになります。
1900年代初頭のバイク乗りのファッションについてですが、ウェアというよりは手・脚を守るギアが先行して普及しました。
「プッティ・レギングス」と呼ばれる膝下から足首までの革のサポーター(?)、冷気から頭部を守るレザーキャップ、レザーグローブ、「レザーブリーチ」と呼ばれるレザーパンツなどです。
ただフライトジャケットの前身ともいえるボタン留めのレザーコートが飛行機乗りに普及し始めると、同様のレザーコートがバイクギアとしても利用されたようです。
1930年代
1930年代にはいよいよ今日に通じるライダースジャケットが登場します。
当サイトの「フライトジャケットストーリー」を読んだ方ならお分かりでしょうが、1930年代と言えば、そうです、今や定番のA-2、B-3、B-6といったフライトジャケットの名作が登場した時代です。
ジッパーを採用し、機能性に富んだこれらのフライトジャケットがライダースジャケットに影響を与えたことは言うまでもありません。
1931年、ハーレー・ダビッドソンが大衆向け第一弾となるシングル襟スタイルの「Leather Zipper Jackets」を発表、1935年には同じくシングルですが脇のアジャストベルトなど更に進化した「Motorcyclists Sports Jackets」を発表し、これら(特に後者)が30年代を代表するライダースジャケットとなりました。
ハーレーのライダースジャケットは通信販売によって一気に市場に普及しましたが、この30年代には大手通信販売会社であるシアーズ・ローバック社とモンゴメリー・ウォード社が、それぞれ「ヘラクレス」、「ウィンドウォード」というレザースジャケットのブランドを立ち上げています。(ここでレザージャケットとしたのは、当時はライダースジャケットといった呼び名はなく、これらのブランドはスポーツ・ジャケットやフィールド・ジャケットのカテゴリで売られていたからです。)
そして1939年、ハーレー・ダビッドソンから今日のダブルと呼ばれるスタイルの原型にあたる「AVIATOR STYLE」(アビエエイター・スタイル)が発表されます。
5ポケット、ポケットへのジッパー採用など当時としては画期的であり、まさしく現在に通ずるライダースジャケットの登場です。
1940年代
1940年代は、今なおマニアを唸らせるいくつかのブランドが誕生した時代です。
第二次世界大戦に勝利を収めたアメリカでは数多くのレザーカンパニーが誕生しました。また、この時代以降、レザーカンパニーは、戦前に集中していた東海岸(ニューヨーク、ボストンなどが中心)から西海岸、特にカリフォルニア州に集中するようになります。これは西海岸の気候や文化が巨大なバイク人口を生み出したのが理由のようです。
40年代のライダースジャケットを牽引したのもやはりハーレー・ダビッドソンでした。そしてバイク人口の爆発と、ハーレー・ダビッドソンの成功が、今やマニア垂涎のブランドを生み出すことになりました。 デトロイトの「JOSEPH BUEGELEISEN CO.」、通称Buco(ビューコ、ブーコ)や、ニューヨークの「BECK
DISTRIBUTING CORP.」、いわゆるBeck(ベック)です。
また、今や世界的な知名度を誇り、究極のカスタムメイドと称される「Langlitz
Leathers,Inc」=ラングリッツが生まれたのもこの時代です。(ビューコ、ベックともに1970年代に消滅)
ハーレー・ダビッドソンの名作「サイクル・チャンプ」や、究極のライダースジャケットと言われるビューコの「J-24」が誕生しました。(当時のライダースジャケットは馬革がメインでした。)
1950年代
この時代のバイク産業は、経済発展と大量消費に裏打ちされた豊かなアメリカを背景に更なる発展を遂げます。
また、マーロン・ブランド主演の「The Wild One(1953、邦題「乱暴者」)」の公開、エルビス・プレスリーに代表されるR&R時代の到来などで、バイク=ライダースジャケット=不良といったイメージが定着した時代でもあります。 50年代は、先述したレザーカンパニーの更なる発展に加え、'60〜'70にレースシーンを席巻し、今なお健在なレザーブランド「BATES
LEATHERS」(ベイツ)がロサンジェルスに誕生しています。
他にもロサンジェルスの「By Star」や「キャル・レザー」、サンフランシスコの「ゴールデン・ベアー」など、今でも高く評価されるレザーブランドが生まれ、あるいは発展した時代でした。
1960年〜1970年代
1960年代、バイク産業は依然発展し、バイク人口は急増、レース人気もそれに拍車をかけました。加えて60年代以降、ライダースジャケットには本格的に牛革が利用され始め、かつカラフルなものが登場し始めます。
また、1969年には映画「イージーライダー」が登場、その後のバイクカルチャーに多大な影響を与えました。
この60年代に大きく成長し、アメリカNo,1ブランドにまで昇りつめたのが「BATES
LEATHERS」(ベイツ)です。ベイツは単なるレザーブランドではなく、総合アクセサリーメーカーとして展開し成功しました。
1970年代は、アメリカ経済の衰退により、レザーブランドにとって暗黒の時代となります。
この時代にBuco(ビューコ、ブーコ)やBeck(ベック)をはじめ、多くのレザーブランドが消滅していきます。当時No,1ブランドのBATES(ベイツ)も売上が低迷し、80年代以降はアクセサリーから撤退しレザーブランドのみなりました。
ただ、この暗黒時代にあっても新しい息吹が見られました。1976年、マイケル・ヴァン・デュ・スリーセンがボストンたった一人で始めたVanson(バンソン)です。
日本でも人気のVanson(バンソン)が、今やライダースジャケットのトップブランドのひとつであることはみなさんもよくご存知だと思います。
1980年〜
暗黒の70年代を経て、ライダースジャケット産業は緩やかに再生に向かいます。
日本の需要拡大などの外的要因も大きいのですが、田中凛太郎氏はアメリカのレザーカンパニーの復活のポイントに以下の3つを挙げています。
1.良質なレザーの安定供給
2.熟練した職人の確保と若手職人の育成
3.健全なマネージメントとマーケティング
このような企業努力に加えて、幸運を引き寄せたレザーカンパニーが成功し、高い評価とともに、今現在も活躍しています。いまだ健在なBATES(ベイツ)をはじめ、Vanson(バンソン)、クローム・ハーツ、Langlitz
Leathers(ラングリッツ)などです。
さて、ざっとですが、アメリカのライダースジャケットの歴史をを振り返ってみました。
新しい世紀を迎えた今、アメリカのレザーカンパニーはどのようなライダースジャケットシーンを我々に見せてくれるのでしょうか。
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